福岡城・・・・天守閣が欲しいよ〜! by官兵衛

2009 年 7 月 29 日

(父)

「長政よ、加藤清正の熊本城が大々的に復元されるそうじゃぞ!」

(子)

「左様、城好きの間では現在注目の的だとか・・・・?」

(父)

「我等も清正めに遅れをとってはならぬぞ。早速皆様を福岡城に案内せぬか!」

(子)

「やれやれ、相変わらず父上は目立ちたがり屋・・・・もとい、負けず嫌いなお方でございますな?この長政の様に大きくお心をお持ち頂けませぬか?」

(父)

「残念ながら長政よ、皆様はそなたが喜怒哀楽の激しい短気な武将じゃと薄々ご存知じゃぞ・・・・。」

(子)

「うぐっ・・・・。私の心が大きいという前言は撤回を申し上げまする。では、気を取り直して・・・・。父上、そして皆様、これこそが福岡城でございますぞ!見てくだされ、この白亜の居城を!47の櫓を誇り、広さは25町歩・・・・。我が黒田家の居城にして、九州最大の巨城が遂に完成しましたぞ!」

(父)

「相変わらず長政は気が利かぬのう。25町歩と言っても各々方にはピンと来ぬであろう・・・・。25町歩とは、現在で言うところの概ね25ヘクタール位にあたるのじゃ。」

(子)

「いえいえ、今日の私は気が利いておりまする!父上は足がご不自由故、城内をご案内するのに輿をご用意致しましたぞ。」

(父)

「おお、輿を担いでおるのはもしや・・・・?母里太兵衛ではないか?」

(GUEST)

母里太兵衛・・・・1556〜1615年。安土桃山時代〜江戸時代初期の武将。「太兵衛」は通称で、正式には「母里友信」。槍術に秀でた勇猛な黒田家臣として知られ、後藤又兵衛らと並んで黒田八虎の一人に数えられる。名槍・日本号を右手に、大杯を左手に抱えた姿の銅像が博多駅前・福岡市西公園に存在し、同様の姿が博多人形やイラストのモデルにもなっている他、様々なエピソードを持つ黒田家のスター武将である。因みにこの場面では母里太兵衛ら家臣は、黒田父子をそれぞれ黒田官兵衛=「大殿」、黒田長政=「殿」と呼んでいる。以下、(太)と表記。

(太)

「これはこれは大殿、お久しゅうござる。この度は殿のお申し付けにより城内を大殿にご案内すべく参上し申したぞ。」

(父)

「そうか、では案内を頼むかのう。」

(子)

「はい、早速参りましょう。皆様もどうぞ。」

*          *

(父)

「では、城の中枢である本丸から見て行くかのう。」

(子)

「はい、こちらが福岡城本丸の玄関である表御門でございます。」

(父)

「ふむ、そしてその奥にあるのが本丸御殿じゃな。外から見ると筑前国52万石に相応しい立派な造りじゃのう。実に惚れ々々するわい。今の御世に残っておらぬのが実に残念じゃのう。」

(太)

「大殿、立派なのは外観だけではござらぬ。本丸御殿の中には畳56枚敷きの大広間や仏間、台所に詰所等、城の中枢に必要な機能が全て揃ってござる。」

(子)

「本丸だけでも井戸が3本も掘ってあります故、万が一敵の大軍に取り囲まれても何ヶ月、いや何年でも持ち堪えられまする。」

(父)

「そうかそうか、それは頼もしいのう。ところで、この『御仙水』とは何じゃ?」

(太)

「我等黒田武士が戦場で倒した敵将の身元を確かめる、つまり首実検を行う大切な場所でござる。これさえあれば、我等黒田武士は明日戦が始まっても大丈夫というもの。それがしの如く手柄の多い者は、一度戦が行われると当分の間はここで自分が倒した相手の検分を行わなければなりますまい。ガハハハッ!」

(子)

「さて、本日は陽も暮れました故、最後に裏御門を通って引き上げましょうぞ。父上のお体に障りまする。」

(父)

「はて、もう帰るかの?しかし、何か大切な場所を見るのを忘れておるような・・・・。」

(子)

「明日は二ノ丸・三ノ丸をご案内致しまするが?」

(父)

「いやいや、そうではない。長政よ、ワシに何か隠しておらぬか?」

(子)

「ギクッ・・・・。い、いえ。決してその様なことはございません。」

(父)

「太兵衛よ、本当か?ワシの目を見て答えよ。」

(太)

「・・・・実は、福岡城には天守閣の石垣までは造り申したが、天守閣そのものについては殿の『政治的判断』ってヤツで結局建ててござらん。で、目立ちたがり屋の大殿にバレると怒られるから、天守台跡の石垣には絶対連れて行くな、と殿が・・・・。しかも、大殿を天守台に連れて行くなと言ったのは内緒だぞ、と殿が・・・・。」

(子)

「あ、太兵衛のばか!」

(太)

「殿、申し訳ござらん。結局全部喋ってしまいましたわい。拙者は正直者故、かようなウソはどうも苦手でござるな。ガハハハハッ!」

(父)

「こら、長政逃げるな!」

(子)

「だって、仙台の伊達政宗が『お互い、野心家として徳川幕府に睨まれてるんだから、この際天守閣はあきらめようぜ〜!オレも仙台城には天守閣は造んねーからさ』と言うもので、ついウンと言ってしまったのでございます〜。父上が熊本城をその様にライバル視されるとは思わなかったのでございまする〜。お許しくだされ〜。」

(父)

「もうよい、もうよい。立派な天守閣を建てて世間の耳目を集めた肥後国加藤家は、加藤清正の子の代で取り潰しになった・・・・。そして、天守閣を我慢した黒田家と伊達家は明治の御世まで続いた・・・・。結果的にそなた達の判断は正しかったのかも知れん・・・・。」

(子)

「では、許して下さるのですか?」

(父)

「そういうことならば仕方あるまい・・・・。しかし、しかしのう・・・・。わーん、やっぱり熊本城で注目される清正が羨ましいよ〜!やっぱり福岡城も天守閣が欲しいよ〜!」

(太)

「全く、大殿も殿も子供であるまいに・・・・。では、取り敢えずそれがしが天守閣建設費の工面に行き申そう。大殿のご案内は殿にお願いしまするぞ。さ〜て、島井宗室殿は拙者の名槍・日本号をカタに幾ら貸してくれるでござろうか〜?」

[続く]