エンクレストマンションが展開する福岡市は中世からの商都「博多」と
近世(江戸時代以降)以来の武家町「福岡」を擁する双子都市として発展しました。
(父)
「長政よ、加藤清正の熊本城が大々的に復元されるそうじゃぞ!」
(子)
「左様、城好きの間では現在注目の的だとか・・・・?」
(父)
「我等も清正めに遅れをとってはならぬぞ。早速皆様を福岡城に案内せぬか!」
(子)
「やれやれ、相変わらず父上は目立ちたがり屋・・・・もとい、負けず嫌いなお方でございますな?この長政の様に大きくお心をお持ち頂けませぬか?」
(父)
「残念ながら長政よ、皆様はそなたが喜怒哀楽の激しい短気な武将じゃと薄々ご存知じゃぞ・・・・。」
(子)
「うぐっ・・・・。私の心が大きいという前言は撤回を申し上げまする。では、気を取り直して・・・・。父上、そして皆様、これこそが福岡城でございますぞ!見てくだされ、この白亜の居城を!47の櫓を誇り、広さは25町歩・・・・。我が黒田家の居城にして、九州最大の巨城が遂に完成しましたぞ!」
(父)
「相変わらず長政は気が利かぬのう。25町歩と言っても各々方にはピンと来ぬであろう・・・・。25町歩とは、現在で言うところの概ね25ヘクタール位にあたるのじゃ。」
(子)
「いえいえ、今日の私は気が利いておりまする!父上は足がご不自由故、城内をご案内するのに輿をご用意致しましたぞ。」
(父)
「おお、輿を担いでおるのはもしや・・・・?母里太兵衛ではないか?」
(GUEST)
母里太兵衛・・・・1556〜1615年。安土桃山時代〜江戸時代初期の武将。「太兵衛」は通称で、正式には「母里友信」。槍術に秀でた勇猛な黒田家臣として知られ、後藤又兵衛らと並んで黒田八虎の一人に数えられる。名槍・日本号を右手に、大杯を左手に抱えた姿の銅像が博多駅前・福岡市西公園に存在し、同様の姿が博多人形やイラストのモデルにもなっている他、様々なエピソードを持つ黒田家のスター武将である。因みにこの場面では母里太兵衛ら家臣は、黒田父子をそれぞれ黒田官兵衛=「大殿」、黒田長政=「殿」と呼んでいる。以下、(太)と表記。
(太)
「これはこれは大殿、お久しゅうござる。この度は殿のお申し付けにより城内を大殿にご案内すべく参上し申したぞ。」
(父)
「そうか、では案内を頼むかのう。」
(子)
「はい、早速参りましょう。皆様もどうぞ。」
* *
(父)
「では、城の中枢である本丸から見て行くかのう。」
(子)
「はい、こちらが福岡城本丸の玄関である表御門でございます。」
(父)
「ふむ、そしてその奥にあるのが本丸御殿じゃな。外から見ると筑前国52万石に相応しい立派な造りじゃのう。実に惚れ々々するわい。今の御世に残っておらぬのが実に残念じゃのう。」
(太)
「大殿、立派なのは外観だけではござらぬ。本丸御殿の中には畳56枚敷きの大広間や仏間、台所に詰所等、城の中枢に必要な機能が全て揃ってござる。」
(子)
「本丸だけでも井戸が3本も掘ってあります故、万が一敵の大軍に取り囲まれても何ヶ月、いや何年でも持ち堪えられまする。」
(父)
「そうかそうか、それは頼もしいのう。ところで、この『御仙水』とは何じゃ?」
(太)
「我等黒田武士が戦場で倒した敵将の身元を確かめる、つまり首実検を行う大切な場所でござる。これさえあれば、我等黒田武士は明日戦が始まっても大丈夫というもの。それがしの如く手柄の多い者は、一度戦が行われると当分の間はここで自分が倒した相手の検分を行わなければなりますまい。ガハハハッ!」
(子)
「さて、本日は陽も暮れました故、最後に裏御門を通って引き上げましょうぞ。父上のお体に障りまする。」
(父)
「はて、もう帰るかの?しかし、何か大切な場所を見るのを忘れておるような・・・・。」
(子)
「明日は二ノ丸・三ノ丸をご案内致しまするが?」
(父)
「いやいや、そうではない。長政よ、ワシに何か隠しておらぬか?」
(子)
「ギクッ・・・・。い、いえ。決してその様なことはございません。」
(父)
「太兵衛よ、本当か?ワシの目を見て答えよ。」
(太)
「・・・・実は、福岡城には天守閣の石垣までは造り申したが、天守閣そのものについては殿の『政治的判断』ってヤツで結局建ててござらん。で、目立ちたがり屋の大殿にバレると怒られるから、天守台跡の石垣には絶対連れて行くな、と殿が・・・・。しかも、大殿を天守台に連れて行くなと言ったのは内緒だぞ、と殿が・・・・。」
(子)
「あ、太兵衛のばか!」
(太)
「殿、申し訳ござらん。結局全部喋ってしまいましたわい。拙者は正直者故、かようなウソはどうも苦手でござるな。ガハハハハッ!」
(父)
「こら、長政逃げるな!」
(子)
「だって、仙台の伊達政宗が『お互い、野心家として徳川幕府に睨まれてるんだから、この際天守閣はあきらめようぜ〜!オレも仙台城には天守閣は造んねーからさ』と言うもので、ついウンと言ってしまったのでございます〜。父上が熊本城をその様にライバル視されるとは思わなかったのでございまする〜。お許しくだされ〜。」
(父)
「もうよい、もうよい。立派な天守閣を建てて世間の耳目を集めた肥後国加藤家は、加藤清正の子の代で取り潰しになった・・・・。そして、天守閣を我慢した黒田家と伊達家は明治の御世まで続いた・・・・。結果的にそなた達の判断は正しかったのかも知れん・・・・。」
(子)
「では、許して下さるのですか?」
(父)
「そういうことならば仕方あるまい・・・・。しかし、しかしのう・・・・。わーん、やっぱり熊本城で注目される清正が羨ましいよ〜!やっぱり福岡城も天守閣が欲しいよ〜!」
(太)
「全く、大殿も殿も子供であるまいに・・・・。では、取り敢えずそれがしが天守閣建設費の工面に行き申そう。大殿のご案内は殿にお願いしまするぞ。さ〜て、島井宗室殿は拙者の名槍・日本号をカタに幾ら貸してくれるでござろうか〜?」
[続く]
(子)
「父上、ここからは父上の自慢話から少し外れて、福岡市内各地の地名や、黒田家中の愛すべき者達にスポットライトを当てた話を皆様にご紹介致しましょう。」
(父)
「ムッ!誰が自慢話をしたというのじゃ?ワシの昔話をしたら、たまたま全て華麗なる成功談だったというだけじゃ。それよりも、今日は皆様に福岡の町について案内するのが我等父子の本分。異存はないぞ。むしろ、長政の天然ボケ談義を延々と聞かされたら皆様の方が退屈してしまうわ。」
(子)
「・・・・。」
(子)
「父上、そして皆様、私は筑前国52万石へ入るにあたって、新しい城と町作りを行うことに致しました。現在の御世では、52万石といっても皆様にピンと来ぬかも知れませぬが、江戸時代を通じて50万石以上の大名家が加賀前田家・薩摩島津家・仙台伊達家・肥後細川家・佐賀鍋島家と我が黒田家の六家だけでありましたから、黒田家は全国有数の大々名となった訳でして、当然それに相応しい城と城下町が必要と考えたのでございます。」
(父)
「なるほど、良い考えじゃ。しかし、場所の目星はついておるのか?」
(子)
「はい。ご存知のように、筑前国には52万石という石高とは別に、経済上欠くことが出来ない重要な要素がございます。」
(父)
「ズバリ、博多のことじゃな?」
(子)
「左様でございます。我等の時代の博多は摂津国(大阪府)の堺と並ぶ世界有数の国際貿易港で、島井宗室・神屋宗湛・大賀宗九等の博多三商傑に代表される博多商人達は、戦国大名といえども侮れぬほどの経済力を誇っておりました。戦国時代たけなわの頃には豊後国(大分県)から大友氏、薩摩国(鹿児島県)から島津氏、肥前国(佐賀県)から龍造寺氏、更には中国地方の毛利氏までが進出し、博多の利権を自らの保護下に入れようと争いました。その後も秀吉様が朝鮮半島に侵攻された際には総勢30万ともいわれる軍勢の補給を博多商人達が引受けたことから考えても、彼等の誇る経済力と物流機構の大きさが想像できますな。」
(父)
「その通りじゃな。そうか、分かったぞ。商人の町である博多に隣接して新に武家の町を造るのじゃな?必要とあれば、博多商人達にも城や町作りに協力させることも出来るし・・・・。」
(子)
「仰るとおりでございます。博多は博多湾に注ぐ那珂川東岸を中心に栄える街。ですから、那珂川西岸、かつて福崎と呼ばれた地に博多の双子都市を建設することにしたのでございます。」
(父)
「なるほど、では城の名は福崎からとって福崎城か?」
(子)
「いえいえ、せっかく新しい城と城下町を建設するのでございますから、名前も新に付けねばなりませぬ。さて、ここで父上と皆様にクイズがございます。故司馬遼太郎殿の名著で、我が父黒田官兵衛を主人公とした『播磨灘物語』において、黒田家の先祖が薬学に長けていた為、薬の販売で財を成したとされる備前国(岡山県)の町はどこでございましょう?」
(父)
「うーむ。ワシも最近寄る年波のせいか、昔のことになるとどうも物覚えが良くないわい・・・・。降参じゃ!」
(子)
「父上、余りにも早い諦めよう・・・・。ご先祖様に対してチト不孝なのではございませぬか?」
(父)
「・・・・。思い出したぞ。備前国福岡じゃな?」
(子)
「父上、ご名答!ですから、私はご先祖様の源流に因んでこの地を『福岡』と名付けることにした訳です・・・・。」
(父)
「福岡・・・・。それは良い考えじゃ。それに何故かホッとするし、暖かい感触の名前じゃのう。妙に落ち着くわい。しかし、思えばこの福崎・・・・もとい福岡の地に至るまで我等親子にとって本当に長い長い道のりであったのう、長政。」
(子)
「う、う、誠に・・・・。この長政は感無量でございます・・・・。」
(父)
「・・・・。よもや長政は近頃流行りの情緒不安定、気の病かのう・・・・?おっと、脱線し過ぎたわい。そして那珂川を挟んで西岸に黒田家臣を中心とする武家町『福岡』、東岸に博多商人を中心とする商業都市『博多』を整備していくことになった訳じゃな?」
(子)
「左様。ですから、かつて福岡と博多の町を行き来する者にとって、那珂川にあった渡し船は双子都市を結ぶ一大動脈であった訳です。」
(父)
「そうであったか・・・・。で、現在の平成の御世において、那珂川の辺りはどうなっておるのかのう?」
(子)
「父上、那珂川の畔に建つあの青い天守閣・・・・もとい、あの青いマンションをご覧下さいませ!何とその名も『エンクレスト福岡』でございますぞ!」
(父)
「おお、何と偉大なる歴史の輪廻・・・・!」
[エンクレスト 住めばそこは歴史の宝庫 編へ続く]