エンクレストマンションが展開する福岡市は中世からの商都「博多」と
近世(江戸時代以降)以来の武家町「福岡」を擁する双子都市として発展しました。
(父)
「長政よ、太兵衛が戻るまでに、黒田節の話でも皆様にして差上げてはどうかの?」
(子)
「なるほど、良いお考えでございますな。では早速、
はぁ〜
酒は飲め飲め
飲むならば
日の本一の此の槍を
飲みとる程に
飲むならば
これぞまことの黒田武士〜
と、如何でございます?私自身では、なかなか上手いと思うのですが?」
(父)
「長政は武道以外の才能が本当にないのう。親の顔が見たいわい。あ、ワシか?
冗談はさて置いて、
さぁ〜けぇ〜は〜のぉ〜めぇ!のぉ〜めぇ!
・・・・。」
(子)
「オエーッ、ちちうえ〜!もし音声がオンであったら、ご覧の皆様は失神してしまいする。どう聞いても、私の方がマシかと・・・・。」
(父)
「大きなお世話じゃ!」
(子)
「父子揃って、大変失礼致しました。だいぶ下手な唄で申し訳ございませんでしたが、今のは黒田節もしくは筑前今様と呼ばれる唄で、今の御世でも福岡・博多の祝言の席ではよく年配の方が唄われるそうでございます。」
(父)
「左様、多少聞き苦しかったかも知れぬが、この唄はもともと母里太兵衛をモデルにした唄だそうな。」
(子)
「確か、先程太兵衛が質入に持っていった名槍・日本号に関する逸話が歌詞になっておるそうで・・・・。」
(父)
「うむ、もともと日本号という槍は、『賤ヶ岳の七本槍』の一人で一緒に石田三成を襲撃した長政の『チンピラ仲間』福島正則が秀吉様から褒美として頂いた品じゃ。」
(子)
「以前、京都の伏見城に正則が滞在していた為、同じく京都に来ていた私が正則の許へ太兵衛を使いに遣ったのです。すると、酒豪の正則は太兵衛に酒をしつこく勧めた。太兵衛も我が黒田家中では酒豪として知られる者ですが、黒田家の家老としてやって来ている手前、断りました。まぁ、当然ですな。だが、それでも正則は『黒田武士は酒に弱い』等と太兵衛をしつこくカラかって飲ませようとした。」
(父)
「そして、『大杯に注いだ酒を飲み干したなら、何でも好きな褒美を与える』とまで言い出したそうじゃな。」
(子)
「はい。そして、そこまで言われた太兵衛は大杯に並々と注がれた酒をあれよあれよと飲み干し、『福島殿が秀吉様に頂いた名槍・日本号を頂戴したい』と申し出た。福島正則は不承不承、日本号を母里太兵衛に譲り渡したそうで・・・・。そして、冒頭の父上のヘタクソな黒田節の歌詞はこの福島正則との一件を表している訳ですな。太兵衛の銅像やイラストが全て名槍・日本号を右手に、大杯を左手に抱えた姿になっているのもそれに由来するそうで・・・・。いやあ、母里太兵衛は黒田家臣の鑑ですな。」
(父)
「とりあえず、ヘタクソなのは長政の方じゃ・・・・。それは別にして、誠に太兵衛は我が家中の鑑よのう。長政よ、ワシの死後も太兵衛を粗末に扱ってはならんぞ。」
(子)
「ドキッ・・・・。この長政、しかと心得ました・・・・。今の御世でも勿論太兵衛は人気者。福岡市中央区の『天神センタービル』はかつての母里家の屋敷跡でございますが、今では明治通り側に立派な石碑が建っておりまする。また、旧福岡城の敷地跡にある舞鶴中学校の入口には、その太兵衛の屋敷にあった長屋門が移設されておりまする。生徒達は、黒田武士の鑑から薫陶を受け、勉学に精進しておる訳でございます。実に結構でございますな〜。私も実に鼻が高い・・・・。」
(太)
「大殿に殿、お待たせし申した。島井宗室殿とすっかり長話になってしまい・・・・。ところで、誰の話をなさっておったので?」
(父)
「そなたのことよ。ワシが亡き後も、長政は太兵衛のことを大切に扱ったであろう?」
(太)
「うーん?ハッキリとは覚え申さんが、殿の長男、つまり大殿の孫である黒田忠之公に『殿以上の武勇に恵まれますように』といった意味のことを申し上げたら、『オレ以上の武勇とは何事だ!斬る!』と拙者に逆上なさいましてな〜。でも、周りの者が命乞いをしてくれたし、それがしもあまり物覚えが良い方ではないので、酒でも引っ掛けて忘れてしもうとりましたわい。ガハハハハッ!・・・・大殿?それがどうかなさいました?」
(父)
「う〜っ!わなわなわな・・・・。」
(子)
「・・・・。」
(父)
「長政ッ、お前はいつから親にウソをつくようになったのじゃ〜!こら、逃げるな!」
(子)
「父上〜またまたお許し下さ〜い!太兵衛もごめんよ〜!もう二度と言わないから!」
[続く]