2012 年 2 月 のアーカイブ

エンクレスト県庁前特別企画・・・・亀山天皇と日蓮

2012 年 2 月 3 日

(小早川隆景)

「おはようございます、官兵衛殿」

(黒田長政)

「お~寒い寒い!全く隆景殿は相変わらず爽やかじゃな。ワシなんぞ最近は朝が辛くて辛くて・・・・。」

(小早川隆景)

「何を仰いますか。実は私の方が貴方より13歳も年長。寒さは寄る年波に堪えますよ。イメージ的に読者の皆様は私の方が若いと思われているでしょうが。」

(黒田官兵衛)

「ふん、大きなお世話じゃ。ワシは若い頃に苦労し過ぎたんじゃよ。しかし、本当に寒いのう。」

(小早川隆景)

「全く、誰だ?こんな寒空に県庁と『エンクレスト県庁前』がある『東公園』で待ち合わせしようと言い出したのは?」

(黒田官兵衛)

「あんただ!」

(小早川隆景)

「ところで今日は長政殿は?」

(黒田官兵衛)

「この年老いた父親をほったらかして、一人先に出かけてしまったのじゃよ。あの親不孝者め!」

(小早川隆景)

「むむ、官兵衛殿。向こうから水牛の兜を被ってスケボーに乗った兄ちゃんが来ますぞ!」

(黒田長政)

「父上・小早川様、おはようございます。」

(小早川隆景)

「長政殿でしたか!」

(黒田官兵衛)

「こら、長政!この東公園では他人様に迷惑をける行為は禁止じゃぞ。」

(黒田長政)

「父上、大丈夫ですよ。さっきも、外人さんに声をかけられて写真まで撮られちゃいましたよ。タイムズに載るかな『カミカゼライダー!ナガマサ』とか。」

(黒田官兵衛)

「・・・・。」

(小早川隆景)

「それはそうと、見えてきましたよ!これが東公園のシンボル『亀山上皇像』です。」

(黒田官兵衛)

「随分大きな銅像じゃのう~。海の方を見据えて建立されているそうじゃ。」

 

亀山天皇(亀山上皇)

1249~1305年。鎌倉時代の第90代天皇。後嵯峨天皇(後嵯峨上皇)の皇子として生まれ、満10歳で兄の後深草天皇(後深草上皇)から皇位を譲られる。但し、これは父の後嵯峨上皇が半ば強要したものであり、以後、後深草上皇の血統である「持明院統」と亀山天皇の血統である「大覚寺統」が皇位をめぐって争うこととなり、更には鎌倉幕府が皇位問題に介入した為、問題は紛糾した。更に、モンゴル帝国(元王朝)が朝鮮半島の高麗国を通じて我国と通行を求める等世情が混乱した為、天皇は各地の神社に命じて国難に対する祈りを捧げさせた。1274年、皇子である後宇多天皇に皇位を譲って上皇となるが、その年には本当にモンゴル軍が襲来(元寇・蒙古襲来)した為、福岡市の箱崎宮に「敵国降伏」の額を奉納して戦勝を祈願した(これは天皇を退いて上皇となった後であった為、東公園にある銅像は「亀山上皇像」となっている)。この額は現在も箱崎宮の楼門に掛けられている。鎌倉幕府を倒した後醍醐天皇は亀山天皇の孫である。

 

(黒田長政)

「亀山天皇のご生涯もなかなか劇的ですね・・・・。」

(小早川隆景)

「亀山天皇即位に端を発する皇位問題は、後の南北朝時代の遠因でもあります。亀山天皇の孫である後醍醐天皇(大覚寺統)が鎌倉幕府を倒すと、その政治に不満を持つ武士達が今度は足利尊氏公を中心に結託する・・・・。自らの正当性を主張する為に足利尊氏公は、大覚寺統のライバルである持明院統の光厳上皇に接近して支持を受ける。大覚寺統は吉野に移って『南朝』と呼ばれ、京都に残った持明院統が『北朝』と呼ばれるようになったのです。」

(黒田官兵衛)

「確かに皇位問題だけでも深刻じゃが、そこへモンゴル軍が来襲じゃ。ワシ等の時代以上に大変な時代かもしれぬのう。」

(小早川隆景)

「さあ、ご両人。この東公園の見所は亀山上皇像だけではございません。今度はあちらをご覧下さい!」

(黒田官兵衛)

「おお、こちらには日蓮上人像か・・・・?」

 

日蓮上人

1222~1282年。安房国(千葉県)の出身。幼くして清澄寺に入って修行する。その後は高野山・比叡山・仁和寺等に学び、多くの仏教経典の内、法華経こそが真理であるとの悟りを開き、鎌倉の街で法華宗(日蓮宗)の布教を始める。1260年には「立正安国論」を記して外国からの侵略を予見し、疫病や天災等の国民の苦しみと政治の乱れを鎌倉幕府に直言した。他宗派からの迫害や鎌倉幕府の弾圧にも屈することなく自らの信ずる真理を布教することに努める。死後、後光厳天皇から「日蓮大菩薩」の尊号を、大正天皇から「立正大師」の尊号を贈られた。

 

(黒田長政)

「亀山上皇像もそうでしたが、この日蓮上人の銅像も海の方を見据えておられますね。」

(黒田官兵衛)

「日蓮上人の謹厳な性格が表情に現れておる。今にも民衆に向かって説法をしそうではないか?」

(小早川隆景)

「日蓮上人は漁師の家に生まれたと云われていますが、モンゴル軍の襲来を予見したところを見ると、本当は海外からの情報を入手する独特の人脈を持っていたのではないかと想像が膨らみます。」

(黒田官兵衛)

「日蓮上人がモンゴル軍の襲来を警告したことから、銅像と隣接する『元寇史料館』にはモンゴル軍(元軍)の武器や鎧が展示されているそうじゃ。」

(黒田長政)

「かつてユーラシア大陸全域を席巻したモンゴル軍の武器や装具が間近に見られるのは貴重ですね。」

(小早川隆景)

「それに、日蓮宗といえば商家からの厚い崇敬を受けていますが、同じく博多商人から厚い崇敬を受ける『十日恵比寿神社』もこの東公園に隣接しているんですよ。」

(黒田長政)

「毎年1月8日~11日の大祭は十日恵比寿と呼ばれ、博多や周辺の人々がたくさん詣でると聞きました。」

(小早川隆景)

「いやあ、その日の人出は物凄いですよ。皆さん、今年一年間の商売繁昌、家内安全、交通安全、漁業繁栄などを祈願するんです。」

(黒田長政)

「来年は私も是非行きたいものです。」

(黒田官兵衛)

「ワシも次回は太兵衛に担いで来てもらうことにしよう。ところで、亀山天皇には銅像が、隆景殿にはご自身が奉納した箱崎宮の楼門が、長政にも同じく箱崎宮の鳥居が残っているのに、『戦国最強のナンバー2』と呼ばれたワシの銅像が無いとはどういうことじゃ?」

(黒田長政・小早川隆景)

「・・・・。」

[続く]